岩槻人形とは?
岩槻人形(いわつきにんぎょう)は、埼玉県さいたま市岩槻区を中心に製作されている伝統的な日本人形です。江戸時代末期に始まったとされ、ひな人形や五月人形、市松人形、木目込人形など多様な様式が受け継がれてきました。地域の桐工芸と結びついた技法や、天然素材の持ち味を活かした工程が特徴で、全国有数の人形産地として知られています。
品目名 | 岩槻人形(いわつきにんぎょう) |
都道府県 | 埼玉県 |
分類 | 人形・こけし |
指定年月日 | 2007(平成19)年3月9日 |
現伝統工芸士登録数(総登録数) ※2024年2月25日時点 | 11(17)名 |
その他の埼玉県の伝統的工芸品 | 江戸木目込人形、春日部桐箪笥、秩父銘仙、行田足袋(全5品目) |

岩槻人形の産地
桐工芸が育んだ人形の里・岩槻

岩槻は、江戸時代には日光御成街道の宿場町・城下町として栄え、流通や職人文化が発展した地域です。地場産業としての桐箪笥製造が盛んであり、そこで発生した桐粉(キリのおがくず)を活かして人形制作がはじまりました。埼玉県は関東ローム層により軽く柔らかい桐材に恵まれ、木工技術と流通の結節点という地理的優位性も、岩槻を「人形のまち」として確立させる大きな要因となりました。現在も岩槻駅周辺には人形工房や卸問屋が集積し、地域一体となって伝統工芸の維持と発信を行っています。
岩槻人形の歴史
江戸の趣とともに歩んだ人形文化の系譜
岩槻人形の歴史は、地域に根ざした木工文化と節句行事の発展とともに歩んできました。江戸後期以降、ひな祭りや端午の節句といった年中行事の普及に伴い、需要が急増。人形製作が地域の一大産業となっていきます。
- 19世紀中頃(江戸時代末):桐工芸の副産物である桐粉を利用して、桐塑人形の制作が始まる。
- 19世紀後半〜20世紀初頭(明治時代):交通網の発展により全国からの注文が集まり、五月人形や市松人形などの需要が高まる。
- 大正〜昭和初期:量産体制が確立し、雛人形一式のセット販売や、分業体制が整備される。
- 20世紀後半(昭和中後期):日本全国に向けた節句文化の普及に貢献。
- 2007年(平成19年):岩槻人形が経済産業省より「伝統的工芸品」に指定される。
- 現代:後継者育成や輸出、インテリア用途の創作人形など、多様な展開で技術と文化の継承が行われている。
岩槻人形の特徴
百の工程が生む、衣装と造形の美
岩槻人形は「衣装着人形」と「木目込人形」に大別され、いずれも分業体制でつくられます。各工程は専門職人の手によって分担され、その数は100〜200工程に及びます。
- 衣装着人形:藁や和紙で胴体を成形し、絹織物を着付けて装束を仕上げる。頭部は胡粉塗りと面相描きで表情を仕上げ、顔の表現力に優れる。
- 木目込人形:桐の木型に溝を彫り、そこに布地を差し込んで装飾を施す。木目込みは京都・上賀茂神社の賀茂人形に由来する技法で、岩槻では独自の進化を遂げている。
人形には「着付師」「頭師」「道具師」などの専門職が関わり、扇や刀、冠といった付属品までもが手仕事で仕上げられます。各部品は製造問屋により組み立てられ、最終製品として全国に流通します。
岩槻人形の材料と道具
自然素材が生む人形の温もり
人形づくりの根幹を支えるのは、選び抜かれた自然素材とそれを扱うための専門道具です。岩槻人形では、桐や絹、和紙といった伝統的な素材が用いられ、職人の手仕事により繊細な造形と風合いが生み出されています。
岩槻人形の主な材料類
- 木材:桐(頭部・胴体)、ヒノキ、ホオノキ
- 素材:桐粉、小麦粉(生麩糊)、藁、和紙、絹織物(衣装)、絹糸(髪)
- 顔料:胡粉(牡蠣殻由来)
岩槻人形の主な道具類
- 木工道具:のみ、小刀、鋸、金槌
- 着付け道具:裁ち鋏、針、糊、へら
- 塗装・仕上げ:筆、面相筆、刷毛、型枠など
すべての素材は軽量で扱いやすく、かつ美しさや耐久性に優れる天然素材が用いられています。とくに顔料の胡粉は、滑らかでやさしい白肌の表情を作るうえで欠かせない要素です。
岩槻人形の製作工程
分業と手業が紡ぐ精緻な人形づくり
- 木地作り
木材から頭部・胴体・手足の基本形を削り出す。 - 頭部形成
桐塑で成形し、乾燥・研磨後に胡粉塗布と面相描きで仕上げる。 - 衣装制作
絹織物をパーツごとに裁断・縫製し、衣装着または木目込みで着せつける。 - 小道具作成
装飾具や持ち物を手仕事で制作。 - 組立て
各パーツを精密に組み合わせ、一体の人形に仕上げる。
工程全体には数十名の職人が関わり、すべてが手作業で進められるため、一体ごとに異なる個性と気品が宿ります。
岩槻人形は、地域の自然資源と職人の技術が融合した日本を代表する人形工芸です。節句文化を彩るだけでなく、造形美と素材感を追求した逸品として、国内外の人々に愛され続けています。
