読谷山花織とは?

読谷山花織(ゆんたんざはなうい)は、沖縄県読谷村で織られる伝統的な織物です。「花織」とは、地の組織から模様部分の経糸が浮き出るように織る技法で、その名の通り、まるで花が咲くような文様が特徴です。鮮やかで立体的な図柄は、すべて手織りで表現され、沖縄独自の文化と美意識が凝縮されています。
一時は途絶えかけたものの、1960年代の與那嶺貞による復元を契機に復興活動が始まり、1970年代には地域全体で連携した取り組みとして本格化。現在では沖縄県を代表する伝統工芸の一つとして広く知られています。
品目名 | 読谷山花織(ゆんたんざはなうい) |
都道府県 | 沖縄県 |
分類 | 織物 |
指定年月日 | 1976(昭和51)年6月2日 |
現伝統工芸士登録数(総登録数) ※2024年2月25日時点 | 13(24)名 |
その他の沖縄県の伝統的工芸品 | 南風原花織、久米島紬、宮古上布、読谷山ミンサー、琉球絣、首里織、与那国織、喜如嘉の芭蕉布、八重山ミンサー、八重山上布、知花花織、琉球びんがた、壺屋焼、琉球漆器、三線(全16品目) |

読谷山花織の産地
沖縄の暮らしに根ざした、読谷村の手織り文化

主要製造地域
読谷山花織の産地である読谷村は、沖縄本島中部の西海岸に位置する自然豊かな地域です。古くから農業と手工芸が盛んで、とりわけ織物文化は村の生活と深く結びついてきました。
現在では、読谷山花織事業協同組合や各工房が、技術の継承と人材育成に力を注いでおり、地元の学校教育とも連携しながら、織りの文化を次世代へと伝えています。
読谷山花織の歴史
王府文化とともに紡がれた、読谷山花織の歩み
読谷山花織は、かつて琉球王国の時代に王府への献上品として重宝され、華やかな装束の一部として織られてきました。しかしその後、社会の変化とともに一時姿を消すこととなります。
- 18世紀:琉球王国時代、読谷山村で織られた花織が王府へ献上される。
- 明治時代:廃藩置県により王府制度が崩壊し、花織の需要が減退。
- 昭和初期:生活様式の変化や戦争の影響で花織の生産が途絶える。
- 1964年(昭和39年):首里女子実業学校出身の染織家・與那嶺貞が、戦前の布片や古老の証言をもとに、読谷山花織の技法と図案の復元に成功。
- 1974年(昭和49年):読谷村の有志が中心となり、沖縄県と連携して復元活動が本格化。
- 1976年(昭和51年):読谷山花織が経済産業大臣より「伝統的工芸品」に指定される。
- 現代:工房や組合の活動により、国内外に知られる織物として再興。
読谷山花織の特徴
浮き織が描く、色彩と文様の詩
読谷山花織の最大の特徴は、「経浮き花織」の技法により、経糸の一部が布の表面に立体的に浮かび上がり、華やかな幾何学模様が描かれる点です。この織りによって生まれる文様は、シンプルでありながらも存在感があり、自然や暮らしの中にある美を巧みに表現しています。
また、色彩にも沖縄独自の感性が息づいており、赤・黄・青・緑などの原色を巧みに組み合わせることで、視覚的な躍動感を生み出しています。着物や帯地としてだけでなく、近年はインテリアや雑貨など幅広い用途にも応用されています。

読谷山花織の材料と道具
彩りと温もりを織りなす、手仕事の素材
読谷山花織には、糸の質や染料の色、道具の使い方までこだわり抜かれた素材と技術が活かされています。
読谷山花織の主な材料類
- 絹糸:経糸・緯糸ともに使用される高品質な糸。
- 草木染め・化学染料:近年は色彩の幅を広げるため併用される。
- 木綿糸:絣の括りや下準備に使われる。
読谷山花織の主な道具類
- 手機(てばた):模様の浮き上がりを調整しながら織る織機。
- 管巻き機:緯糸をボビンに巻くための器具。
- 杼(ひ):緯糸を通す道具。
それぞれの道具は熟練の職人の手により丁寧に扱われ、花織特有の繊細な文様と色彩を再現するために調整されています。
読谷山花織の製作工程
浮かび上がる美しさを生む、手織りの技法
読谷山花織の製作は、すべて手作業で行われ、織り上がるまでには多くの工程と時間が必要です。模様の配置と色彩の設計から始まり、糸染めや織りの工程で高い技術が求められます。
- 図案の作成
幾何学文様の設計図を作成し、配色を検討する。 - 糸染め
使用する経糸・緯糸を草木染めまたは化学染料で染める。 - 整経・経糸準備
経糸を必要な本数と長さに整え、織機にセットする。 - 製織
図案に沿って経糸を浮かせながら手織りで文様を織り出す。 - 仕上げ
織り上がった布を湯通し・乾燥させ、必要に応じて検反を行う。
こうして完成した読谷山花織は、華やかさと素朴さを併せ持ち、沖縄の文化と自然を映し出す唯一無二の織物として高く評価されています。
