壺屋焼とは?
壺屋焼(つぼややき)は、沖縄県那覇市を中心に生産される伝統的な陶器で、沖縄を代表する焼き物文化のひとつです。17世紀末、琉球王府の命により、那覇市壺屋に各地の陶工が集められたことに始まり、以後300年以上にわたって発展を続けてきました。
大皿や酒器、水甕(みずがめ)などの日用品をはじめ、シーサーや置物なども多く作られ、力強い絵付けや素朴な造形が特徴です。近年では、日常使いの器としても人気が高まり、伝統と現代の暮らしが調和した工芸として注目を集めています。
品目名 | 壺屋焼(つぼややき) |
都道府県 | 沖縄県 |
分類 | 陶磁器 |
指定年月日 | 1976(昭和51)年6月2日 |
現伝統工芸士登録数(総登録数) ※2024年2月25日時点 | 1(19)名 |
その他の沖縄県の伝統的工芸品 | 南風原花織、久米島紬、宮古上布、読谷山花織、琉球絣、首里織、与那国織、喜如嘉の芭蕉布、八重山ミンサー、八重山上布、知花花織、琉球びんがた、読谷山ミンサー、琉球漆器、三線(全16品目) |

壺屋焼の産地
やちむん通りに息づく、沖縄陶芸の心

主要製造地域
壺屋焼の産地である那覇市壺屋地区は、「やちむん通り」としても知られ、現在でも多くの工房やギャラリーが軒を連ねています。「やちむん」とは沖縄の方言で焼き物を意味し、壺屋は沖縄焼き物文化の中心地として発展してきました。
戦後には都市部での煙害規制などにより登り窯の使用が制限され、読谷村へと移転した工房も多くありますが、那覇・読谷の両地域で壺屋焼の伝統は受け継がれています。地元の陶工たちは日々、登り窯や電気窯を用いながら、技と表現を磨き続けています。
壺屋焼の歴史
琉球王朝から続く、やちむんの伝統
琉球のやちむん文化は、島の自然と交易の歴史の中で育まれてきました。各地の陶工の技術が壺屋に集められたことで、沖縄独自の陶器文化が大きく発展し、庶民の日用品から王府への献上品まで幅広く生活を支えてきました。
- 15〜16世紀:琉球各地で土器・陶器の技術が発展。
- 1682年:琉球王府が知花・宝口・湧田の3村から陶工を集め、那覇壺屋に集住させる(壺屋焼の起源)。この政策により、やちむんの技術が一か所に集積し、陶器産業の発展が加速した。
- 19世紀:壺屋地区に登り窯が整備され、商業陶器として本格的に発展。
- 戦後:那覇市内での薪窯の使用が難しくなり、登り窯が読谷村に移設。壺屋・読谷の二拠点体制に。
- 1976年(昭和51年):壺屋焼が経済産業大臣より「伝統的工芸品」に指定される。
壺屋焼の特徴
素朴さと力強さが融合した、日常のうつわ
壺屋焼の魅力は、素朴で温かみのある造形と、ダイナミックでのびやかな絵付けにあります。伝統的な技法には「荒焼(あらやち)」と「上焼(じょうやち)」の2種があり、前者は釉薬を使わない素焼きの壺や甕を中心とした保存容器などに用いられ、後者は白土に釉薬を施した食器や装飾品を指します。現在では日常使いに適した上焼が主流ですが、荒焼も伝統的用途や観賞用として根強い人気があります。
文様には、魚、鳥、花、唐草、線彫りなどが用いられ、沖縄の自然や暮らしが豊かに表現されています。手に取ったときの重厚感や、土のぬくもりを感じさせる風合いも、壺屋焼ならではの魅力です。

壺屋焼の材料と道具
沖縄の土と伝統を支える、素材と技術
壺屋焼は、沖縄の大地から採れる土と、身近な自然素材を活かした釉薬によって生み出されます。
壺屋焼の主な材料類
- 赤土・白土:沖縄本島北部の粘土を精製して使用。
- 釉薬:天然の木灰釉や海藻灰を使ったものなど。
壺屋焼の主な道具類
- 蹴ろくろ:足で回して成形する伝統的なろくろ。
- 彫刻刀・線彫り具:装飾文様を彫り出すための道具。
- 筆・刷毛:絵付けに使用。
- 窯(登り窯・電気窯):焼成のための設備。
自然由来の素材と、職人の繊細な感覚に支えられたこれらの道具が、壺屋焼の豊かな表情を生み出しています。
壺屋焼の製作工程
火と土が響き合う、やちむんづくりの技
壺屋焼の製作工程は、自然素材の扱いと、長年の経験が融合する繊細なプロセスです。
- 土づくり
採取した赤土や白土を精製し、成形に適した粘土を練る。 - 成形
蹴ろくろや手びねりで器の形を作る。 - 乾燥・素焼き
成形した器を十分に乾燥させ、800℃前後で素焼きに。 - 絵付け・施釉
文様を描き、釉薬を施す。 - 本焼き
登り窯や電気窯で焼成し、完成。
壺屋焼の一つひとつには、沖縄の風土と人々の暮らし、そして陶工たちの情熱が込められており、使い込むほどに味わいを深めていきます。
